normalize.fm#056 ひとり反省会と失われた収録

2024-01-22

Web技術系Podcast「normalize.fm」、その56回目にゲストとしてお招きいただき参加してきました。たいへん名誉でありがたいことです。

急に仕事がなくなって暇だな〜みたいな空気を察知して声をかけてくださったそうで、人間万事塞翁が馬といいますか、悪いことばかりではないなといった気持ちです。

この記事では収録後のひとり反省会と「失われし収録」について書かれています。ぜひ本編を聞いてからお読みください…!

ひとり反省会

こういうところで反省会を開いてしまうのが予防線を張るようでもう、ね…という感じですが、とにかく書いておかないと気が済まないので書いちゃいます。

具体的なエピソードをもう少し話せるとよかったな

頭の回転が遅くアドリブが苦手なこともあり、もう少し踏み込んで話せるとよかったなあという場面がいくつかありました。ふわっとした話に終始してしまうと、聞き手がイメージを掴みづらく退屈になってしまいますからね…。

カラーテーマの色彩がおもしろい→どんなところが?

人間の目は緑色を感じやすいとか。HSLの色空間では人間の目に寄り添いきれておらず、LchやOklchなどの新しい色空間が生まれているとか。ダークテーマは目に優しいと言われているが、研究によればそうでもなく、周囲とのコントラストが大事であるということとか。

近代絵画史がおもしろい→どんなところが?

古くに確立された様式美や制約を重んじる新古典主義を窮屈と感じ、本物の美は内面にあると考えた人々がロマン主義や後の印象派の流れを作っていくとか。印象派の点描について、絵の具は減法混色で混ぜると鮮やかさを失ってしまうから、光のもつ鮮やかさを表現するために人間の目の側で混色させているのだ、とか。本当におもしろいんですよね。これについては後日別の場所でまとめる予定。

人間の目の側で混色させる印象派の点描 | Georges Seurat. A Sunday on La Grande Jatte, 1884. The Art Institute of Chicago.

いい話がすらっと出てくるかっこいい大人になりたいなー。それにはもっと興味分野について普段から深く深く考え、向き合い続ける必要があるのでしょうね。

失われた収録

本編でもお話したとおり、ネットワークのトラブルによって1回目の収録が失われたため、お聞きいただいたのは2回目の収録となっています。もっというと、実は再収録日の前半30分間も失われており、より正確には2.3回目の収録といった感じになっています。

「大いなる力に妨げられているのでは?」なんて2人で頭を抱えましたが、結果doxasさんと2倍以上お話できてしまったのでわたしは幸せものです。

もっとも新鮮な初回の収録が丸ごと失われるのはちょっともったいないなあと思ったので、印象に残っているトピックを書き起こしておきます。

エンジニアリングとデザインの境界線

エンジニアリングとデザインの両方に携わっているが、それぞれの境界線はあるのか?あるいはシームレスにつながっているのか?という質問。

自分の中ではそれほど明確な境界はなく、どちらも等しくものを作るための手段。エンジニアリングでも、例えば関数ひとつみたときに、どんな名前をつけると機能がわかりやすいか?引数の数や順序は?戻り値の型は?みたいなことはみんな考えているはず。それは使う側に配慮した設計であり、まさにデザインそのものではないか。

AIとドット絵

急激な発展を続けるAI業界。画像生成もできるようになってきたが、ドット絵はどうか?という質問。

(自分の観測範囲では)きちんとしたドット絵を出せているものはまだ見ていない。ポストプロセッシング(後工程で加工)が入るならだいぶ可能性はあるのかも?

現行のAIのモデルではまだドット絵を完全には理解しきれていないようで、遠くから眺めると一見それっぽいというのがいかにもAIらしいのだけど、よく見るとまるでドットが尊重されていない。

DALL·Eによって描かれたドット絵っぽい何か(ドット絵師は発狂する)

人間のドット絵師たちは、それこそMr.ドットマン小野氏が掲げていた「一点入魂」のとおり1ドットに魂を込めるのだが、そこにサクッとグラデーションを入れたり半ドットを入れたりしてくる感じが、「ドット絵ってこんな雰囲気にしておけばみんな好きなんでしょ?」みたいな下心が伝わってくるようで暴れたくなる。

とはいえ、いまのAIのモデルというのは膨大な大衆の意志を学習したごった煮なわけで、実際このレベルでもじゅうぶんドット絵として受容されている印象もあり1、ドット絵を描く者の端くれとしてはたいへん複雑な心境である。

写真におけるピクセルとピクセルの間

ドット絵の文脈において、「ドットとドットの間に情報を込める」という話は今回の収録でも触れたが、doxasさんの写真でも似たような探究があるよという話。UVで写真を引き伸ばす実験をしている様子が、まさにピクセル間にある「何か」を探っているようで興味深かった。

個人的には、何気ない道端の葉っぱから生じたこの絵が特に忘れられなくて、いったい何が抽出されて残ったのだろうかと考えゾクゾクしたのである。

おしまい

Podcastの収録、何もかもがはじめてでとてもよい経験になりました。もっと勉強して知識を深め、またいつかdoxasさんと雑談できたらいいなあと思います。

ここには書かなかったどうでもいい小話は、しずかなインターネットのほうで書いていこうかな。


  1. AIがドット絵の挿絵を追加してくれると謳う絵日記アプリがあって、生成される絵はここで書いたとおりの「ドット絵みたいな何か」なのだが…。少なくとも自分の観測範囲内では、ユーザーの反応は上々なのである。言いたいことはたくさんあるが、事実として受け入れねばなるまい。 ↩︎

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