「差額ベッド問題」なるものを聞いたことがあるだろうか。今回は、家族が入院する際に遭遇した問題と失敗、得られた教訓について記していく。対処法だけ知りたい人は、末尾のまとめを参照してほしい。
手術などで入院する場合、通常であれば入院料はすべて保険適用となる。
普通の病室が保険適用となる一方で、病院には「特別療養環境室」というものも存在する。ざっくり説明すると、特別料金がかかるけれども、そのぶん設備がよく快適に過ごせる部屋である。こちらは保険適用外となる。
医療技術が発展を続けるなかで、入院生活の質を向上させたいというニーズが高まっており、その声に応えるべく設けられた制度らしい。病院は、全病室のうち一定の割合をこの特別療養環境室にすることができる。
患者の希望があれば、より快適な入院生活を求めて特別療養環境室を選ぶことができる。「患者自身が望んでいる」という点がとても重要になるので覚えておいてほしい。
このように、もともと患者のために設けられた制度なのだが、その患者の意思に反して高額の病室を割り当て、医療費を過剰に負担させる「差額ベッド問題」が社会問題となっている。厚生労働省から注意喚起の通知が何度も出ているほどだ。
例えば、とある病院において、普通の病室が満員で特別療養環境室しか空いていない、というケースがあったとしよう。これは病院都合であって患者本人が望んでいないので、ベッド代の差額は請求できない。
患者の金銭事情によって最低限の医療さえ受けられないのは本来あってはならないことで、先の通知でもしっかりと具体例が書かれている。
しかしながら、これを知らない患者が病院側の言うままに、保険の効かない特別料金を負担させられる事例が後を絶たない。
この問題が一向になくならないのは、おそらくこの特別料金が病院の運営を支えているからだろう。客単価を上げたいというのはビジネスとして理解できる面もあるが、医療は一般的な客商売とはやや性質が異なる。人の命に直接かかわる危うい領域だからこそ、わざわざ国が釘を刺しているのだ。
差額ベッド問題について整理したところで、ここからは自身と家族が実際に体験したことを記していく。1
こちらが、手術前にサインする同意書の一部を再現したものである。
この書類と病室の一覧を提示しながら、病院側はこう尋ねる。
「どの病室を希望されますか?」
通常の病室をお願いすると、次にこう聞かれる。
「当日の状況によっては、無料の病室が満員で確保できない場合があります。第2希望はいかがされますか?」
事前知識のない状態でこのように聞かれたら、多くの人は第2希望として他の病室(差額あり)を消極的に選択してしまうのではないだろうか。我々もそうだった。
後ほどわかるのだがこれは罠で、結果「患者の希望として特別な病室が選択された」書面ができあがり、患者の同意が得られたという根拠になってしまう。
病室の空き事情など部外者が把握できるはずもなく、つまりは病院側の気分次第で自由に特別料金を請求できるようになる。ほとんど詐欺師が使うような手口である。
特別な病室に価格相応のメリットがあればまだ納得する余地もあるが、ベッドの側に個人専用のロッカーが付帯するだけで1日あたり+1万円だという。この価格設定が妥当であるとは思えなかった。
少し日が経ってから何だか話がおかしいことに気づいたが、すでに手術日が近くなっていたので、入院当日に確認してみることにした。
入院前日になって病院側から連絡があり、無料の病室がないので第2希望になるとのことだった。案の定である。
そして当日。先の厚労省の通知を持って説明を求めたが、「患者さまご自身が希望されましたので…」の一点張り。どうしても納得できないなら手術を延期することもできるというが、すでに数ヶ月ほど待ったうえでの入院なのだし、病状が進行しているから手術を依頼しているわけで、まず受け入れられない。
受付のスタッフと押し問答をしていると別室に通され、施術担当チームの一員であるという若い医師が出てきた。「病状をみるに延期はおすすめしない、いますぐ手術したほうがよい」「手術を延期しても、その際にまた無料の病室を確保できるかは保証できない。最悪の場合はさらに延期になる」と畳みかける。
これらの主張は国の通知と矛盾していて、まったく筋が通らないものであるが、これから命を預ける相手の心象をこれ以上悪くするわけにもいかず、最終的には受け入れざるを得なかった。
ただでさえ手術で不安な患者の恐怖心をさらに煽り、不当に医療費をかさ増しする所業には本当に驚いた。こんな邪悪なシステムがこの世に実在するのか。2
手術当日まで少し時間があったので、この件について厚生労働省に問い合わせてみた。より正確には、地域の管轄である関東信越厚生局へ電話をかけている。
担当者によれば、話の内容が正しければ、本件は厚生労働省としても認められるものでなく、同意書の有無にかかわらず差額は発生しない認識とのことだった。
ただ、病院側へ事情を確認してみることはできるものの強制力はなく、基本的には患者と病院とで解決してもらうというスタンスらしい。手術を目前に控えたこの状況で、何かが好転しそうな成果は得られなかった。
病院への信頼もすっかり失われ、大切な家族の命を信頼できない医療機関に預けてしまったという悔しさと無力感でいっぱいになった。幸い手術は成功し術後も良好であるが、一度抱いてしまった不信感が消えることはない。
その後しばらくして、別件で再び同病院へ入院する機会がやってきてしまった。3
再び事を荒立てて消耗したくはなかったが、不当な特別料金をまいど請求される苦痛も耐えがたかったので、処遇に影響のなさそうな範囲で交渉してみることにした。
前回の経験を踏まえると、もっとも重要なのは同意書へのサインであると思われた。万全の体制を整えて入院前の説明に同伴する。会話の録音もばっちりである。
ほどなくして、前回と同様の同意書が出てきた。そして無料の部屋を希望したところで、件の質問である。
「第1希望は無料のお部屋をいただきまして。まずはこちらから調整させていただきますが、お取りできない場合がありまして。そのときのために、第2希望、第3希望をお取りしているのですが、いかがしますか?」(当時の会話の書き起こし)
解釈の余地が生じないよう注意深く、明確に返答する。
「無料の病室のみを希望します。第2希望はありません。」
すると、意外にもあっさり承知して引き下がったのである。何かしらの抵抗があるだろうと身構えていたので、全身の力が抜けてしまった。
気を引き締め直して「仮に無料の病室が満員だった場合でも、差額を支払う必要はないのでしょうか?」と確認したが、「その通りです」「その場合に差額を請求することは認められていません」との回答が得られた。とても同じ病院の対応とは思えない。4
その後も差額ベッドの話を持ちかけられることはなく、1回目の体験が嘘のように平穏な退院を迎えることができた。
2回の入院を経てわかったのは、この差額ベッド問題は
ということである。たとえ病院側が詐欺まがいの手法で合意形成をしたとしても、それが結果として「患者が特別療養環境室を望んでいる」と解釈できるならば、差額ベッド代を請求されても文句が言えない状況に追い込まれてしまう。
不当な差額ベッド代を請求されないためには、病院側にどんな聞きかたをされたとしても、絶対に「特別療養環境室を望んでいる」と解釈できない形で同意書にサインする必要がある。
「当日の状況によっては、無料の病室が満員で確保できない場合があります。第2希望はいかがされますか?」
と聞かれたときの返答は、
「第2希望はありません。無料の病室以外は希望しません。」
が正解である。
患者側は命を握られており、病院との交渉では常に不利な立場を強いられる。一度でも同意書にサインしてしまったら、その後の結果を覆すのはかなり難しくなるだろう。
わたしたち家族の体験が、似たような境遇で苦しむ患者さんを少しでも減らす一助になれば幸いである。
今後の診療に影響が出ることを避けるため、関連人物や団体が特定できそうな記載は避け、大筋以外の部分に多少手を加えている点を理解いただきたい。 ↩︎
ひとつ気をつけるべきは、これは病院という巨大なシステムが引き起こしている問題であって、現場のスタッフが悪とは限らないということである。あえて患者と争いたい医師はいないだろうし、病院からの指示で仕方なく運用していると考えるのが自然だろう。 ↩︎
信頼できない病院ならば早々に転院してしまおうとも考えたが、これまで蓄積された豊富な診断データがすべてリセットされてしまうことを考えると踏み切れなかった。仮に紹介状を書いてもらったとして、そこに添付できる情報もたかが知れているだろうし…。 ↩︎
病院側が、患者の同意が得られないとわかった時点で強く出てこなかったのは、省庁の通知は法的拘束力はないもののまったくの無力でもない、ということを示しているのだろうか? ↩︎