『アーティストのためのハンドブック 制作につきまとう不安との付き合い方』

2022-09-01

SNSのタイムラインで見かけるたびに読みたいと思いながら、絶版でしばらく入手困難だった『アーティストのためのハンドブック』。メルカリを巡回する日々を送っていたところ、なんと第6版が出たとのことで思いがけず新品を手にとることができた。

制作に携わるすべての人に向けた、著者たちの哲学

本書には、制作をしていく上で生じる多くの悩みや問題への向き合いかたが、写真家である著者らの経験をもとに記されている。

書名に「アーティストのための」とあるが、ここでいう「アーティスト」はアートで生計を立てている著名人に限定しておらず、制作に携わるすべての人を指している。

全文から滲み出る思いや経験を肌で感じる本

この本は、明日からすぐに役立つtipsや、問に対する明確な解を与えくれるような本ではない。みんな悩みながらも進んでいるのだ、やはり手を動かして作ることでしか救われないのだ…みたいな空気を全体から感じとり、自分も制作がんばるか…という気持ちをあらためてしっとりと噛み締める。そんな本だった。

本書で述べられている主張のひとつに、制作は人それぞれの個性によって異なるものなのだから、他人の習慣や価値観をそのまま拝借するのは無意味である、というのがある。本書で言及されるテーマは広範囲に渡り、共感するポイントや受けとるメッセージは読み手によって大きく異なるところなので、興味をもった人は自分の肌で感じてみるのがよいだろう。以降のメモも、あなたとは異なる一個人の感じかたに過ぎない。

筆を折らないためにできること

本当に多くのアーティストが挫折して、制作をやめてしまう。きっと次の努力も無駄に終わるのだと絶望してしまったり、目標を達成して次の到達点を見失ってしまったり…。制作を妨げるきっかけは無数に転がっている。著者がおすすめしているのは、同じく制作に携わっている仲間を作ることだ

作品を制作している友だちを作ろう。 そして互いに進行している作業について頻繁に情報を共有しよう。

(p.33)

これは大いに同意する。数年前、自分がiOS開発に熱中していたころはコミュニティがたくさんあって、仲間もたくさんいた。同じ分野で手を動かしている者同士でああでもないこうでもないとわいわいするのは単に楽しいだけでなく、間違いなく制作の支えになっていた。

いまは自身の興味分野がより複雑で曖昧になってしまったし、そもそも歳を重ねると「仲間ってどうやって作るんだっけ…?」みたいなところで立ち止まってしまって身動きがとれない。近い分野で気軽にわいわいできる仲間がほしい…!

完璧は存在しない、たくさん作れ

制作をしていると、なぜ思うような結果が得られないのだろうか、自分はなんてだめなやつなんだろう…と悲しみに暮れることも多い。しかし、そもそもまず自分という存在自体が欠点だらけであって、そこから生まれるものが完璧になるわけがないという事実にあらためて気づかされる。

むしろ、現状が不完全であるからこそ理想を求める制作の原動力になるし、自身の抱える不完全性こそが作品に自分らしさを与えるのだ。他人の物差しに頼るな、お前はお前のできることをやれ。そんなメッセージを本書から感じて、状況は何も変わっていないけれども、それでもほんの少しだけ心が楽になった気がした。

1章の中盤では、質と量に関するとある実験のエピソードが語られている。

教室の左半分の学生は作品の「量」によって、教室の右半分の学生には作品の「質」によって、それぞれ成績がつけられることが言い渡されました。(中略)

「質」が最高と評価された作品は、どれも「量」によって評価されるグループによるものでした。

(p.61)

完璧に囚われていると先に進めない。手を動かして制作と向き合ったその時間だけが、作品を質を高めてくれるのである。((自戒))

作品と制作者のアイデンティティ

作品とアイデンティティとが密接に結びつくようになったのは、つい最近のことである。

アーティストは命を削って制作しているので、時間をかけたぶん作品に自己が溶け入ってしまうのはあるていど仕方がない。それでも、作品の賛否が制作者自身に瞬時に直接的に結びついてしまうのは酷だし、そのせいで心が折れてしまったアーティストもたくさんいる。

本書は、そんなの窮屈だから、考えすぎずにいろいろな道を模索していこう…みたいな結論でふわっとまとめている。この話を受けて自分が思い出したのがこちらのTEDである:

作家のElizabeth氏が、ある著作が売れすぎてしまったが故に、その後の制作につきまとうプレッシャーに苦悩したという話。

このままではだめになるので何とかせねばと模索した結果、辿りついたのが古代ローマ時代の考えかたで、創造を司る精霊「ジーニアス」が存在するというもの。

つまるところ、創造性は個々人の責任によってすべてが決まるのではなく、たまたま「ジーニアス」が降りてきたから発揮されるのだと考えれば、少しは肩の力を抜いて制作ができるのではないか…という話であった。なかなかユーモアがあって自分は好きである。

外部からの評価を考えすぎず、自分のやるべきことをやり続けることに注力するのが大切である、というのが本書と共通した主張であろう。

まだまだあるけど…

制作の衝動、アーティストと鑑賞者との対比、承認欲求や社会からの評価、学生と教員などなど、まだまだ書けることはありそうだけど、うまくまとまらないのでこのくらいにしておく。

というか、たぶん本書の内容自体もそれほど体系的にまとまっているわけではなくて、アーティストと制作について著者らが思うところを、ざっくばらんに話してみた…みたいな感じなのだろう。

翻訳が読みづらい点は要注意

内容以外の部分で1点気になったのが翻訳である。直訳的な固い文で、何度も読み直さないとわからない箇所が多い。例えば、1章のはじめに出てくるこの文章だけでも雰囲気が掴めると思う:

アーティストであれば(中略)ほとんどすべての時間を、誰も関心を払わないような作業に打ち込んでいます。

(中略)しかし、たぶん自己防衛でしょうか、自分自身のことを誰も見向きもしない物事の本質を探求していると思い込み、そういう自分の姿を思い浮かべることによって、アーティストは自分の思うような反応が他者から得られない状況を空想することに魅了されてしまいます。

ロマンチックですが、間違っています。他者の無関心など、アーティストはほとんど気にしていないというのが、ありのままの真実ではないでしょうか。

(p.23)

何度も読み直したがついに意味が理解できず、1周目では泣く泣く読み飛ばした。その後、原著が試し読みできることに気づいたので確認してみたところ、おそらくこんな感じの意味なのである:

アーティストは多くの時間を、誰も関心を払わないような地味な作業に費やしている。

防衛本能なのか、アーティストはそんな他人の無関心を美化してしまう傾向があるようにみえる。「他の誰も気づいていない真理を探究しているのだ」…みたいな。

でもそれは間違いだ。みんなが制作のすべてを丁寧に見てくれるなんてことはなくて、他人の無関心さとその作業の価値とはほとんど関連がない。

こういった難解な表現の多くは前後の文脈で補完できるものの、中にはまったく意味が逆になってしまうような厳しい訳もあって、内容がいいだけに本当にもったいないなあと感じた。

英語が読める人は、本書を手がかりに原文をあたると理解が深まるはず。自分も機会があれば挑戦してみたいと思っている。

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