大好きなじいちゃんに、もう会えなくなったけど

2019-12-21

この夏は大きなライフイベントがいくつもあった。その中でも一番大きかったのは、大好きだった、そして尊敬していたじいちゃんが亡くなったこと。

坂を転げ落ちるように体調が悪化して、そのまま亡くなってしまった。あまりにあっけなく、あっという間で、一方通行で…。重くて尊いはずの命が、何の準備も整わないまま、ふっと消えてなくなってしまった。じいちゃんのいない世界を生きていることに、いまだに実感が持てていない。

じいちゃんはものづくりを楽しむ

じいちゃんは昔から、家のことは水道から外壁工事から何でも自分でやる人だった。本職の大工さんではないけれど、負けないくらいの仕事ぶりだったと思う。

じいちゃんの家はあらゆる場所に独自の改良が加えられ、忍者屋敷のような仕上がり。オーダーメイドな家具たちはどれも無骨だったが、それでも仕事は丁寧で、ひとつひとつにアイディアがぎゅっと詰まっているのを感じて愛おしい。それらは家のあらゆる隙間に、ぴったりと収まっていた。

じいちゃんの作業部屋には、使いかたが想像もできないような見慣れない工具が、壁を埋め尽くすように並んでいる。鈍い光をきらりと放つ工具たちは格好よかったけど、それらを使いこなすじいちゃんは、もっと格好よかった。

小学生になったあたりから、自分はじいちゃんの家のさまざまな修繕に呼び出され、壁や屋根のペンキを塗ったり、貯水タンクに入って掃除をしたり、一緒に家具を作ったりした。

まだ幼かった自分はゲームや友だちとの遊びに忙しかったし、手伝いに行っても力が弱く不器用な自分自身に苛立つことが多かった。毎度の呼び出しに少しうんざりしながらも、じいちゃんのお願いを断るわけにもいかないし、お小遣い稼ぎのためもあって、手伝いを引き受け続けた。

いま思い返すと、道具の使いかたを仕込んでおこうという思いもあっただろうし、自分の手でものを作ることは楽しいんだぞ、という生きざまを体験させてくれていたんだろうなと思う。

手先の不器用さはとうとう克服できなかったけど、それでも家の簡単な修繕は自分でするようになったし、機械いじりにも興味をもって、自転車屋でアルバイトをしながら、工具を揃えて自転車の修理もするようになった。(自転車を自分で直せたら格好いいじゃない!)

自分はいま、ソフトウェアという実体のないものを設計開発する仕事に携わっているけれど、自らの手でものを作る楽しさを、その背中で教えてくれたのがじいちゃんだったのかもしれない。

コンピューターおじいちゃん

時が経ち、大学生になって少しずつ独立した人生を歩みはじめたころ。じいちゃんから家の修繕に駆り出されることはほとんどなくなった。

そしてある日、「パソコンを覚えたい」と相談されたのである。驚いた。

それまでじいちゃんは旧式のワープロを使っていた。画面は白黒というか白青?2色で、フロッピーを読み書きして、感熱紙に印字するタイプのかなり古いものだ。それで、パソコンなら色をたくさん使って印刷できるし、インターネットもできるでしょう?という。

自分は内心「いまから覚えるのは無理でしょ…」と思っていた。当時のコンピューターは(いまだってそうだけど)、高齢者が使いこなすには複雑すぎるし人に優しくもない。

でも、やりたいという本人の気持ちは無下にできないし、そのころの自分は人間とコンピューターとの関係性に興味を持ちはじめていたこともあり、よい機会だと思い快諾。ほどなくして、じいちゃん宅にお下がりのデスクトップPCがセットアップされた。

歳をとると短期記憶力が落ちるので、口頭で伝えてもすぐに揮発してしまう。紙の資料を丁寧にこさえ、遠隔操作によるサポート体制も整え、辛抱強く教えていった。

当時の資料。綺麗にファイリングしてくれていた

当初の心配をよそに、じいちゃんは驚くべき勢いで知識を吸収し、みるみる上達していった。そのうち質問がやたら高度になったり、教えてもいない装飾が印刷物に追加されていたりと…想像を遥かに超える成長に、教える側の自分もうれしく思ったものだ。

教えたこともない装飾が施された手紙。すべて保管してある

たまに顔を見せにいけば、パソコンの使いかたで質問攻め。忙しく生きる若者に都度連絡するのは祖父と孫の関係でも気が引けるらしく、会いにいくたび、たくさん溜まっていた疑問をばしばしぶつけられた。ずっと悩んでいたことが次々と解決されていくと、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。

タブレットおじいちゃん

就職して住み慣れた土地を離れ、物理的な距離がさらに遠くなったころ。自分は敬虔なApple信者をやっていて、iPhoneもiPadも毎年アップデートがあるたびに買い替えていた。

型落ちのデバイスは、型落ちとはいえまだ1年ほどしか経っておらずじゅうぶんに使えるので、実家にお下がりして第二の人生を謳歌してもらっていた。そして2世代ほど経ったとき、「このiPad、じいちゃんに渡してみたらどうなるだろう?」と興味がわいたのである。

ようやく使い慣れたパソコンとはまた勝手が異なるので、はじめこそ戸惑っているようだったが、すぐに生活の一部に溶け込んでしまった。クロスワードやナンプレなどのアプリでゲームを楽しみ、i文庫で青空文庫を、Kindleで新書を読む。驚異的な80代である。

「出先でiPadを使ってると驚かれるんだよ」って誇らしげに話してくれるじいちゃんが、自分は誇らしかった。

じいちゃんのiPad。パソコンで綺麗に印刷された名札がついている

歳をとっても好奇心を失わず、失敗を恐れず、目を輝かせながら新しいことにチャレンジしていく姿勢。いつしかじいちゃんは、あんな風に歳を重ねていきたいという人生の目標になっていた。

最後は坂道を転げ落ちるように

身体の衰えは節々に見られるものの、気持ちは元気そのもので、衰えていく気配がまったくなかったじいちゃん。周囲も本人も冗談混じりで「仙人」なんて呼んで笑いながら、変わらぬ日々を過ごしていた。

今年の夏に骨折で入院したと聞いたときは、またやんちゃでもしたのかな…(無茶してよく怒られていた)、時間ができたらお見舞いに行こう、喜ぶかな…なんて呑気に構えていた。

しかしリハビリの進むなか、病院でやっかいなものをもらってしまったらしい。その病院では手に負えず転院したとの知らせを受けて、さすがに心配になりすぐにお見舞いに行った。

久しぶりに対面したじいちゃんはベッドの上で呼吸器をつけており、痩せ細った身体が痛々しかった。弱音を吐く姿なんてみたことがなかったじいちゃんだったのに、顔を見るなり「会いたかったよう…」と涙の滲んだ声で言われたときは、心がぺしゃんこになりそうだった。

iPadを使いたそうにしていたので、インターネットに接続できるようモバイルルーターを契約し、デバイスを保持する力がなくても使えるよう固定用のアームを買い出しにいき、病院のベッドに取りつけてあげた。

少し落ち着いてきたと思ったら、あの本が読みたいから買ってほしいと言ってみたり、隙をみてiPadのアームを分解して構造を調べていたり(笑)と、じいちゃんらしさが失われていないことに安心した。

分解できるだろうかなんて、なかなか考えないよね

きっと回復する。安心できる材料を、必死に拾い集めていた。

「また来るからね、元気になってね」

そう約束したのに。

それから数日した夜に、呼吸が辛いなか最後の最後までがんばって息をして、生きて、そして旅立っていった。

坂道を転げ落ちるように急で、一方通行で、本当にあっという間だった。葬儀も納骨も淡々と進んでいき、じいちゃんは小さな箱に収まった。慣れない礼服でこなす非日常的な行事はお遊戯会のようで、どこまでもふわふわと実感がなかった。

じいちゃんの家に行ったら、変わらず笑顔で迎えてくれるんじゃないだろうか?「お前の好きなパイナップルといくらを用意して待ってたんだよ。新作の料理もあるから食べてみてよ。あとパソコンで聞きたいことがあるんだ…」って。

そんな奇跡はもちろんなくて、この前久しぶりに訪れた家はちゃんと空っぽで、暗くて、寒かった。じいちゃんが趣味で作っていたステンドグラスのランプが、寂しそうに床を照らしていた。

数年前の元気なじいちゃんに会ってきた

あれから数ヶ月。ときどきじいちゃんの夢をみるようになった。先日の夢では、数年前のまだ元気だったころのじいちゃんに会ってきた。

ふと気がつくと、そこはじいちゃんの家のリビングだった。

自分は夢の中で夢だと気づけないタイプの人間なんだけど、なぜだかこの日はわかっていて、壁に貼られた2016年のカレンダーを見て、あぁこれは夢なんだと実感していた。そして、期待と不安に包まれながら振り返ると…そこに、いつもどおりじいちゃんが座っていた。はやる気持ちを抑えつつ、どきどきしながら話しかける。

「信じられないかもしれないけど、2019年から来たんだ」

そう伝えると、すべてを察したかのように、でも深くは聞かず、にこにこと穏やかに話を続けてくれた。

「最近は何してるんだい?」
「うーん…相変わらずプログラミングかな」
「そうかあ、やることがたくさんだね、楽しいねえ」

うれしそうに、くしゃっと笑った。

「ありがとう、またこうやってときどき会いにくるよ」
「うんうん」

少ない会話を交わしたあと、頬を撫でて、我慢できずにぎゅっと抱きしめて、頬を寄せた。温かくて、しわくちゃで、ざらざらで…夢とは思えない感触だった。

ぱっと目が覚めて、久しぶりに会えたのがうれしくて、それから寂しくなって、少し泣いた。

「死んでも心の中に生き続ける」なんて、綺麗ごとで陳腐な表現だ。死んだら何も残らない、無なんだよ…昔はそう思っていた。でもじいちゃんは確かに自分の心の中にいて、こうしてときどき会えるんだ。

 

こんなにも大切だったじいちゃんがこの世界にいたことを、そしていなくなってしまったことを、何らかの形でどうしても残しておきたくて。書いてまとめることで、心の整理をしておきたくて。こんなインターネットの辺境に書いても何の供養にもならないんだけど、それでもこうして書き残しておく。

尊敬するじいちゃんのように歳を重ねていけるよう、好奇心を灯しながら、ものづくりを楽しみながら生きていく。命が終わるそのときまで。

ありがとう。

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