「生命」とは一体何なのか?『生物と無生物のあいだ』

2019-02-11

先ほど読み終わった『生物と無生物のあいだ』がとても興味深かったので、忘れないうちにメモ。

読書習慣

自分は目標を毎年定めていて、今年の目標のひとつには「本を12冊読むこと(1月に1冊ペース)」が入っている。忙しさにかまけて足りていない実感があったので意識的に取り入れてみたのだが、そうすると不思議と時間ができるもので、2月の中盤ですでに3冊目を読み終えたところである。いまのところ順調だ。

生物と無生物のあいだ

半年前くらいだろうか、昼食の際に話題にあがったのがこの『生物と無生物のあいだ』であった。

生物と無生物の境界はどこにあるのか?そう問われるとたしかに曖昧で、うまく答えることができない。植物も生物だろう。きのこなどの菌類もたぶん生物。しかし定義となると難しい。種を残す活動をする個体だろうか?

いつか読んでみたいと思いつつ放置していた本書だったが、強制的な読書習慣を設けることで思い出し、今回手に取ってみた次第である。

生命の定義

本書ではどう定義するのだろうか?ワクワクしながら読みはじめると、プロローグの2ページ目でいきなり結論が書かれていた。

生命とは何か?それは自己複製を行うシステムである。
(プロローグより)

DNAを持ち自己を複製する、これこそが生命であると。

たしかに…。我々もそうだし、ぱっと思いつく動植物も皆そうだ。ここを読んでいる時点では、この定義は問題ないように思えた。

ウィルスは生命なのか?

そのすぐあとで、本書は再び問いかける。「ではウィルスは生命なのか?

うーん難しい。DNAを持つし増殖(自己複製)もするし、先述の定義を正とするならば、ウィルスもまた生命である。しかしながら、ウィルスを生命とするには何かが欠けている気がする。言葉で表現するのは難しいのだけど…。

この点については本書でも同意見で、ウィルスは代謝が一切なく、特殊な環境下で精製すれば結晶化すら可能らしい。生命と呼ぶにはあまりに幾何学的・無機的すぎるし、どちらかというと機械に近いと述べられている。

では、我々生物とウィルスを分かつものは一体何なのか?

ウィルスと生命の違い

エントロピー増大の法則。この世のものは、放っておくとエントロピー(乱雑さ・ランダムさ)が最大の方向に働き、いずれ均一なランダム状態に達して終わるという法則である。

我々はその中にあって、「人間」という安定的な塊として数十年形をとどめることができる。一体どのような機構で?

詳細は本書に書かれているので割愛するが、それこそが我々にあってウィルスにない機構、代謝の持続的変化である。

筆者の研究(=謎解き)を追体験

後半の章では、著者の研究分野であるタンパク質の分泌プロセスの解説を通して、生命活動の高度さやその柔軟性の一面を丁寧に紹介してくれる。細胞内で生成されたタンパク質が、一体どうやって丈夫な防護壁である細胞膜を通過できるのか?詳細はもちろんわからないが、謎を解いていくプロセスとワクワク感を追体験させてくれた。

生物が生まれる過程には常に不可逆な時間の流れがあり、独立した部品からなる機械とは根本的に異なる。個人的には生命は精密機械のようなものだと思っていたので、研究対象のたんぱく質とテレビの部品とを重ねた説明が印象的だった。

こんなに複雑な機構が、一体どうやって生命の身体に備わったのだろうか。その過程は本当に不思議で想像もできない。

研究者の葛藤や日常も

その他にも本書では、DNAの発見をめぐる研究者の葛藤やポスドクの過酷な日常なども垣間見ることができる。こちらもまた興味深かったが、著者自身の日常描写についてはやや単調な節があり、斜め読みですっ飛ばす場面が多かった(ごめんなさい…)。エピローグもそんな調子で進んでいたが、採集したサナギを放置してしまった場面やトカゲの卵の中を覗いてしまった場面は、当時の空気が伝わってくるようで神妙な気持ちに包まれた。

生物と無生物のあいだ

専門分野とは違う本を読んでみるのも、好奇心が刺激されてとてもよいですね。

書いている人:cocopon

Developer/Designer. Web/iOSなどのフロントエンドを主軸に、UIデザインから開発全般まで手がける。

趣味が高じて、ドット絵やジェネラティブアートが仕事になりつつある。