制約によって生じる本質の結晶

2018-09-02

自分の好きなものについて考えていたら、少しだけ法則性が見えてきたのでメモ。

好きなものを列挙してみる

例えばドット絵。ドット絵といってもいろいろな種類があるが、個人的に好きなのは、できるだけ解像度を落とした粗い作風。

例えば、テキストエディターの配色を司るカラースキーム。「Iceberg」というカラースキームを公開し、改良を続けてもう4年になる。

例えば、CUI (Character User Interface: 文字ベースのUI)。等幅だとなおよし。

その他にも、箱庭とかローポリとか、デフォルメされたものとか。いまいち脈絡ないなーと思っていたのだけど、さいきんその法則性を見出した。

制約

その法則性とは、制約がかかっているということ。

粗いドット絵は解像度が低くて細かな表現ができない。カラースキームは配色しか定義できない。CUIも解像度は低いし、既存の文字でうまいことUI要素を表現しなければならない。

このような制約の下では、表現対象が持つすべての特徴を詰め込むことはできない。何かを捨てなければならない。たくさんある要素の中で、何を捨て、何を残すか?

残った要素こそがそのものの本質であり、制約によってふるいにかけられた純度の高い結晶のようなもの。そんな結晶に、自分はたまらなく心を動かされるのだ。

惹かれるものとそうでないもの

…ということがわかってくると、どうして自分がそのものに惹かれるのか、あるいはそうでないのかが見えてくる。

箱庭

さいきん触ったゲームに「進め!キノピオ隊長」というタイトルがあって、視点や仕掛けを操作しながらゴールを目指すパズルアクションなのだが、その世界観に心を奪われた。

狭いステージ内に、これでもかというほどぎっしりと仕掛けが詰め込まれている。その密度はまさに「箱庭」と表現するにふさわしく、本作もまた「狭い」「直方体」といった制約に押し込まれた純度の高い結晶なのである。はー尊い。

すしぴこ

すしぴこ」はキューブ型のお寿司。ドット絵の祭典「Pixel Art Park」で毎年展示している。

自分で作っておきながら、「どうしてこう、異なるものを同じ形状に押し込めたものがかわいくて好きなんだろう?」と不思議だった。

結局これも「同じ形状に押し込む」というデフォルメの下に生まれた、純度の高い結晶なのだろう。形状が同じであるという制約を課すことで、形状以外の何でそのものらしさを表現するか?を探る必要がある。その探求プロセスの中で、情報の純度が上がるのである。

ボクセルアート

ボクセルアートも好き。

なのだが、ドット絵と比較するとより作風を選ぶ気がする。例えば、こういう作風は好みからは外れる:

先のルールに当てはめて考えてみると、ボクセルで曲面を表現したデコボコが逆に情報量を上げてしまい、ポットをその本質から遠ざけてしまっているからだろう、と推測できる。ボクセルの場合は3次元の陰影がついてしまうので、2次元であるドット絵のジャギーと比べてより目立ってしまう。

これくらいの解像度が好き。

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