『世界はひとつの教室』で現代教育の成り立ちを知り、考える

2018-07-27

仕事で教育に関わる機会が増えてきたので、「反転学習」で有名なサルマン・カーン氏の著書を読んでみました。新しい学習手法を模索するなかで、これまでの教育の成り立ちとその有効性を考察しており、自らの教育観を振り返るよいきっかけとなりました。

カーン氏と反転学習

サルマン・カーン氏は、数学、科学、プログラミング、歴史、美術、経済などあらゆる分野のオンライン教材を提供している「カーンアカデミー」の創設者。世界中のすべての人に無料で教育を届けるということを理念に活動を続けています。

そのカーンアカデミーを利用した学習手法として提案されているのが「反転学習」です。講義の動画を好きなときに見て学び、授業時間は生徒同士や先生との課題解決の時間に充てるというもの。「受動的で退屈な授業時間こそ動画で代替できるのではないか」という気づきのもと、授業時間と自宅作業の役割を反転させていることから「反転」学習と呼ばれています。

現代教育の成り立ち

反転学習のような新しい学習方法を試行するにあたって、現在の教育の成り立ちを辿っていくと…この時代に合わない当初の目的や、根拠なく定められたルールの数々が浮き彫りになっていきます。

自分にとって「教育」とは、そこにあって当たり前のものだったので特に意識したこともなく、当時の目的とその後の運用に驚くばかりでした。

従順な市民を育てるために生まれた「教育」

いま現在の教育の核となる教室モデルは、18世紀のプロイセンで生み出されたものが起源となっていますが、その当時の狙いは…自分の頭で考えられる人間を育てることでなく、忠実で従順な市民を生み出すこと

「授業時間」という神聖なる枠組みは、「絶え間ない中断により学習の自発性をそぐ」ために導入されました。(中略)チャイムが鳴ったら有無を言わさず会話や思考を中断させ、予定された次の回へ進ませる。秩序が好奇心にまさり、規律が個人の主体性に優先するというわけです。
(第II部「壊れたモデル」「プロイセン・モデル」より)

当時の意識がいまの教育にも流れているのかと思うと、少しぞっとするような…。

特に根拠のない授業時間や小中学校の区分

授業時間や小学校・中学校の区分に関しても、このとき恣意的に作られたものがそのまま継続しているそう。

これまでの研究によって、「生徒の集中力の持つ時間はせいぜい10–17分」という結論が出ているにも関わらず、未だに長時間の聴講スタイルが続いているのは悲しいものがあります。広く定着してしまった慣習を変えることの難しさを実感させられます。

その他、宿題やテストに対する考察も

上記で紹介した以外にも、「宿題は是か否か」の視点でみる冷戦下のアメリカとソ連の事例や、「どういう基準で次の単元に進むべきか」についての知見など、教育を考えるうえで必ず悩むであろうポイントについての解説・考察がまとまっており、いずれも非常に参考になりました。

後半はカーンアカデミーの成り立ちや展望について

後半の章では、カーンアカデミーの成り立ちや展望について書かれています。まだ検証段階の取り組みや希望的観測も多く、「カーン先生すごい」「そういう未来がくるといいね」といったふんわり軽い感想を抱きつつ、ここはさらっと読み進めました。

まとめ:現代教育を成り立ちから知るための足がかり

カーンアカデミーを大きく成長させてきたカーン氏による、現代教育に対する考察。それに触れながら、読み手自身の教育観について振り返ることができるところに、本書の大きな価値があるのだと感じました。 教育関係者・興味のある人にとって、現代教育の成り立ちを知るためのよい足がかりになると思います。

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